機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者

映画としてのまとまりが凄かった。
トミーノの構成力はまさに神の領域だなー。
新旧作画云々は賛否両論なので省略。
以下は感想というよりは自分なりの考察に近いものになってる。
 
 

今回の劇場版Ζガンダムを観て「TVシリーズのΖガンダムとは完全に別の作品である」と感じた。
サブタイトルに「A New Translation」(新訳)とあることからも、劇場版ΖガンダムはTVシリーズとは違った解釈が加えられていると思う。
 

TVシリーズのΖガンダムは、はっきり言って病的なアニメだった。
他人を拒絶し、どんどん閉鎖的になっていき、最後にはシロッコの攻撃で精神崩壊してしまう主人公のカミーユがそれを象徴している。
カミーユだけではなく、クワトロやアムロ、その他の登場人物もどこか他人を拒絶している印象を受ける。
Ζを作った富野監督も講演会などでΖガンダムの精神病的な部分について語っている。
(そのことについて富野監督はよく「自閉症」という言葉を使うけど、自閉症は先天的な病気だから微妙に間違って使っている・・・)
 
しかし、今回の劇場版を観て感じたのは、登場人物が他人を拒絶していないことだ。
TVシリーズにもあったカミーユの母親が死に、そのあと父親もエゥーゴリック・ディアスを奪い逃走し、それを追いかけるカミーユの目の前でビームライフルで撃たれ爆死する場面。
ここまではTVシリーズとほとんど変わらないのだが、このあとのシーンが劇場版とTVシリーズでは大きく違う。
 
目の前で両親を亡くしたカミーユアーガマに戻った後、談話室でクワトロたちと会話している時、悲しみと怒りに震え今にも泣き出しそうになり、レコアにもたれかかる。そこで横からクワトロがカミーユの肩を抱くようにして優しくさするシーンが劇場版にはあるのだ。
カミーユが他人を求めている。
これはTVシリーズとの大きな違いだ。
人と人との触れ合いが何気ないこの1シーンに描かれている。
全体としては拒絶的な会話は残っているのだが、新作カットになっていたり、セリフが変わっているシーンには人の触れ合いが描かれている場面が見受けられた。
人を拒絶する物語であったΖガンダムが、人を受け入れる物語に変わったのだ。
ブレンパワード以降の富野作品のテーマである「人との繋がり」が、この劇場版Ζガンダムには含まれている。
これに気が付いたとき、鳥肌が立つほど感動した。
Ζガンダムが嫌いな人に見てもらいたい」
富野監督の言いたいことが分かった気がする。
 
また、今回はTVシリーズで出番の少なかったアムロが非常に活躍していた。
ちょっとおいしいとこ取りな気もしたけどw
第2部ではもっと活躍するんじゃないだろうか。
第2部、第3部がどのような展開になるのか期待が高まってきた。
 
この「Ζガンダム 星を継ぐ者」は単なるTVシリーズの総集編ではなく、まったく新しい作品になっている。
自分の中ではこれがTVシリーズ「機動戦士ガンダム」の続編なんだと思う。
劇場版ガンダム三部作は、TVシリーズよりもニュータイプにスポットライトを当てた作品だった。
そしてTVシリーズのΖガンダムニュータイプの物語だった。
つまり
TV版ガンダム→劇場版Zガンダム
劇場版ガンダム→TV版Zガンダム
と繋がっているのだと思う。
 
どちらかと言えば、Ζガンダムは自分の中で嫌いな作品であった。
しかし、この劇場版Ζガンダムは嫌悪を覚えることなくすんなりと観れた。
嫌いだったキャラに魅力を感じることも出来た。
ファーストガンダムは好きだが、Ζガンダムは嫌い」
という人こそ楽しめる作品だと思う。
 

Z嫌いな人に言いたい。食わず嫌いは駄目。とりあえず観よう。